『独裁者』に見る映画著作物の保護期間と監督・脚本家の権利:国際比較と法制度の特殊性
はじめに:映画著作物の複雑な権利構造
チャールズ・チャップリンが監督、脚本、主演を務めた歴史的映画『独裁者』(原題:The Great Dictator、1940年公開)は、その芸術性と社会性を高く評価されています。しかし、この作品を例に映画著作物の著作権保護期間を検討すると、単一の創作者による文学作品などと比較して、より複雑な法制度の適用が求められることが明らかになります。映画著作物には、監督、脚本家、原作、音楽、美術など多様な著作権が複合的に存在し、その保護期間や権利帰属は各国の法制度や国際条約によって異なり、パブリックドメインの判断を難しくする要因となります。
本稿では、『独裁者』を具体例として挙げ、映画著作物における著作者の定義、一般的な著作権保護期間の原則、主要な国々(日本、欧州連合、米国)における保護期間の計算方法、さらには戦時加算や国際条約の影響について詳細に解説します。
映画著作物における著作者の定義と保護期間の基本原則
著作権の保護期間は、一般的に著作者の死後一定期間(例:死後50年、死後70年)とされています。しかし、映画著作物の場合、複数の創作者が関与するため、どの人物の死亡を起算点とするか、あるいは法人である映画製作者が著作者とされるかによって、保護期間の計算が大きく異なります。
- 日本: 日本の著作権法では、映画の著作物の著作者は、制作に携わった者(監督、脚本家、美術担当者など)とされています。しかし、多くの場合、映画製作者(法人)が著作者と推定される特例があり、この場合、保護期間は「公表後70年」となります(著作権法第54条)。『独裁者』は1940年公開のため、日本の法制度下では2010年末をもってパブリックドメインとなっています。ただし、これは映画著作物としての保護であり、個々の音楽や脚本など、独立して著作権が存続している可能性のある要素には個別の判断が必要です。
- 欧州連合(EU): EU諸国では、著作権保護期間指令(Directive 2006/116/EC)に基づき、原則として「監督、脚本家、台詞作成者、音楽著作者」のいずれか最後に死亡した者の死後70年を保護期間としています。この指令は、映画の創作において監督を主要な著作者とみなす傾向が強い欧州の法文化を反映しています。
- 米国: 米国著作権法において、映画は「法人著作物(work made for hire)」として扱われることが多く、その場合、保護期間は「公表から95年」または「創作から120年」のいずれか早い方とされます。個人著作者の作品でも、1978年以前に創作・公表された作品については、当時の複雑な著作権法が適用され、更新手続きの有無が保護期間に大きく影響します。
『独裁者』とチャールズ・チャップリンの死去をめぐる国際比較
チャールズ・チャップリンは1977年12月25日に死去しました。この死亡日を基点として、『独裁者』の著作権保護期間を各国で具体的に検討します。
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日本における『独裁者』の状況: 『独裁者』は1940年公開の作品です。日本の著作権法では、前述の通り映画著作物の保護期間は公表後70年とされています。したがって、2010年末には映画著作物としての保護期間が満了し、パブリックドメインとなっています。 しかし、注意すべき点として「戦時加算」の適用が挙げられます。チャップリンは英国籍であり、英国は第二次世界大戦における連合国の一員でした。日本の著作権法における戦時加算は、連合国国民の著作物に対し、太平洋戦争期間(1941年12月8日〜1952年4月28日)に相当する約10年4ヶ月を日本の保護期間に加算するものです。これにより、日本の国内法が適用される範囲では、『独裁者』の保護期間は2020年末まで延長されていたと解釈できます。
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欧州連合(EU)における『独裁者』の状況: EU諸国では、監督、脚本家、台詞作成者、音楽著作者のうち最後に死亡した者の死後70年が保護期間となります。チャールズ・チャップリンは監督、脚本家として主要な役割を果たし、1977年12月25日に死去しました。したがって、欧州連合加盟国の多くでは、チャップリンの死後70年である2047年12月31日まで『独裁者』の著作権は保護されることになります。
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米国における『独裁者』の状況: 『独裁者』は1940年に公開されました。米国では、1978年以前に公開された作品については、当時の著作権法が適用されます。多くの映画作品は法人著作物として扱われ、その保護期間は公開から95年とされています。この原則に従えば、『独裁者』の米国における著作権は、公開から95年が経過する2035年末まで保護される見込みです。ただし、米国著作権法は歴史的に複雑な変遷をたどっており、特に古い作品については更新手続きの有無など、個別の詳細な確認が不可欠です。
国際条約の影響
著作権保護期間に関する国際的な枠組みとして、ベルヌ条約とTRIPS協定が主要な役割を担っています。
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ベルヌ条約: ベルヌ条約は、著作権の最低保護期間を著作者の死後50年と定めています(第7条)。映画著作物については、加盟国は、著作者の同意を得た者による公衆への提供日から50年、または創作日から50年(その間に公衆への提供がない場合)と定めることができます。また、ベルヌ条約は「内国民待遇原則」と「比較考慮原則」を定めています。内国民待遇原則とは、自国国民の著作物と同様に外国国民の著作物も保護するというものです。比較考慮原則とは、著作物の本国における保護期間よりも長く保護する必要はない、という原則です。これにより、ある国で著作物が保護期間を満了しパブリックドメインとなった場合、他の国でも本国で保護期間が満了していることを理由に保護されない可能性があります。
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TRIPS協定: 世界貿易機関(WTO)のTRIPS協定は、ベルヌ条約の主要な規定を著作権保護の最低基準として多くの国に義務付けています。これにより、加盟国はベルヌ条約で定められた最低保護期間を遵守する必要があります。
まとめ:多角的な検討の重要性
チャールズ・チャップリン監督・主演の映画『独裁者』を例に、映画著作物の著作権保護期間を考察すると、その判断が極めて多角的かつ複雑であることが明らかになります。作品の公開年、主要著作者の国籍と死亡年、そして各国の著作権法の詳細な規定(著作者の定義、法人著作物の扱い、保護期間の算定基準、戦時加算の有無など)だけでなく、ベルヌ条約などの国際条約が適用されるか否か、その適用方法についても精査する必要があります。
特定の映画著作物の利用を検討する際には、利用を意図する国における最新の法状況、また作品の権利に関する具体的な情報を個別に確認することが不可欠です。専門家による綿密な調査と判断を通じて、各国のパブリックドメイン状況を正確に把握することが求められます。