『星の王子さま』に見る著作権保護期間の多様性:戦時加算と国際条約の影響
はじめに
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる不朽の名作『星の王子さま』は、世界中で翻訳され、世代を超えて読み継がれています。その普遍的なメッセージと独特な挿絵は多くの人々に愛されていますが、この作品の著作権保護期間は各国によって異なり、パブリックドメインとなる時期も多様な様相を呈しています。
本稿では、『星の王子さま』を具体的な事例として取り上げ、各国の著作権保護期間の計算方法、特にフランスの戦時加算制度、国際条約の影響、そして派生著作物の扱いについて詳細に解説いたします。この作品の国際的な著作権状況を深く理解することで、著作物の利用や管理における複雑な側面を明確にすることを目的とします。
『星の王子さま』の基本情報と著作権の起点
『星の王子さま』の著者であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリはフランス人であり、1944年に第二次世界大戦中の偵察飛行中に消息を絶ち、その後死亡が認定されました。作品は彼の生前の1943年、アメリカ合衆国でフランス語版と英語版が同時に出版されています。
著作権保護期間は、著作者の没年を起点として計算されるのが一般的です。サン=テグジュペリの没年は1944年であるため、多くの国ではこの年から起算されます。しかし、作品が最初に発表された国や著作者の国籍、各国の法制度、さらには国際条約によって、保護期間は大きく変動します。
各国における著作権保護期間の状況
『星の王子さま』の著作権保護期間は、国によって以下のような異なる状況を示しています。
1. 著作者の死後70年を原則とする国々
日本、ドイツ、イギリス、イタリアをはじめとする多くの欧州連合(EU)加盟国は、著作権保護期間を「著作者の死後70年」としています。この原則に従えば、サン=テグジュペリの没年である1944年から70年が経過した2014年末をもって、『星の王子さま』の著作権はこれらの国々で消滅し、パブリックドメイン(公衆の共有財産)となりました。
2. アメリカ合衆国における状況
『星の王子さま』は1943年にアメリカ合衆国で初版が発行されました。アメリカ合衆国における著作権保護期間は、過去の法改正(特に1998年の著作権期間延長法、通称「ソニー・ボノ法」または「ミッキーマウス保護法」)により、複雑な経緯を辿っています。
現在、アメリカ合衆国では、1923年から1977年の間に発行された著作物の保護期間は「発行後95年」とされています。したがって、1943年発行の『星の王子さま』は、発行から95年が経過する2038年末まで著作権が保護されることになります。これは、著作者の没年ではなく、作品の発行年を基準としている点で他の多くの国と異なります。
3. フランスにおける特殊規定:戦時加算
著作者サン=テグジュペリの出身国であるフランスでは、著作権保護期間に「戦時加算(Prorogation de guerre)」という特殊な規定が適用されます。この制度は、第一次世界大戦および第二次世界大戦により、フランス人著作者がその著作物から得る利益が著しく損なわれた状況を補償するために設けられました。
- 第二次世界大戦の戦時加算: サン=テグジュペリは第二次世界大戦中に戦死したため、この戦時加算が適用されます。第二次世界大戦の場合、著作権保護期間に「8年120日」が加算されます。
- 「Mort pour la France」による特別延長の可能性: フランスでは、国のために命を捧げたと認定された著作者(「Mort pour la France」)の著作物に対して、さらに30年の保護期間延長が認められる場合があります。サン=テグジュペリの場合もこの認定の可能性が検討されましたが、最終的には第二次世界大戦の戦時加算のみが適用され、追加の30年延長は適用されないことが確認されています。
したがって、フランスにおける『星の王子さま』の著作権保護期間は、著作者の死後70年(2014年末まで)に8年120日を加算した期間となり、概ね2023年末をもってパブリックドメインとなりました。
4. その他の国々における保護期間
- カナダ: かつては著作者の死後50年を原則としていましたが、2022年12月30日に発効した法改正により、保護期間は死後70年に延長されました。しかし、『星の王子さま』は改正法施行前に著作者の死後50年(1994年末)が経過していたため、カナダでは1994年末をもってパブリックドメインとなっています。
- メキシコ: 著作者の死後100年という長い保護期間を設けています。
- コートジボワールなど一部のアフリカ諸国: 著作者の死後99年という非常に長い保護期間を持つ国もあります。
このように、『星の王子さま』の著作権は、各国で様々な法律や歴史的背景に基づいて保護期間が異なり、パブリックドメイン化の時期も大きく異なることが分かります。
国際条約と著作権保護期間の調和
著作権は原則として属地主義が適用され、各国がその国の法律に基づいて保護します。しかし、国際的な作品の保護を円滑にするため、いくつかの国際条約が存在します。
1. ベルヌ条約
「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」は、著作権保護における主要な国際条約です。この条約は以下の原則を定めています。
- 内国民待遇の原則: 同盟国は、他の同盟国国民の著作物に対し、自国民の著作物と同様の保護を与えなければならない、という原則です。これにより、例えばフランス人であるサン=テグジュペリの著作物も、日本国内では日本の著作権法によって保護されます。
- 保護期間の最短基準: ベルヌ条約は、著作権保護期間の最低基準を「著作者の死後50年」と定めています。各国はこの最低基準よりも長い期間を定めることはできますが、短い期間を定めることはできません。
『星の王子さま』のようにベルヌ同盟国で発表された作品は、各同盟国において内国民待遇を受け、最低限の保護期間が保証されます。
2. TRIPS協定
「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)」は、世界貿易機関(WTO)の協定の一部であり、著作権を含む知的財産権の国際的な保護を強化することを目的としています。TRIPS協定は、ベルヌ条約の主要な規定を組み込み、著作権保護期間が「著作者の死後50年以上」であることを加盟国に義務付けています。これにより、世界的な著作権保護期間の調和が一層進んでいます。
派生著作物と二次的利用に関する注意点
原著作物である『星の王子さま』が特定の国でパブリックドメインとなった場合でも、その作品の利用には依然として注意が必要です。
- 翻訳権: パブリックドメイン化された原著作物であっても、特定の翻訳版が個別に著作権保護の対象となる場合があります。新しい翻訳を作成し、それを公開する場合は問題ありませんが、既存の翻訳版を利用する際には、その翻訳者の著作権保護期間も確認する必要があります。
- 翻案権: 映画、演劇、アニメーション、絵本などの翻案作品も、原著作物から独立した二次的著作物として、個別に著作権が発生し、保護期間が設定されます。例えば、『星の王子さま』を基にした映画がパブリックドメインとなるのは、原著作物とは異なる時期になる可能性があります。
- イラスト: サン=テグジュペリ自身が描いた挿絵は原著作物の一部として扱われますが、後世のアーティストによる新しい挿絵やデザインは、それ自体が新たな著作物として保護されます。
- 商標権: 著作権とは別に、「星の王子さま」という名称や関連するキャラクターが商標登録されている場合があります。商標権は著作権の消滅後も存続し、その利用には商標権者の許諾が必要となることがあります。
これらの点に留意し、著作物の利用形態に応じて個別の権利関係を確認することが不可欠です。
結論
『星の王子さま』の事例は、国際的な著作権保護期間の複雑さと多様性を明確に示しています。著作者の没後70年という一般的な原則がある一方で、アメリカ合衆国のように発行年を基準とする国や、フランスのように戦時加算という特殊な制度を持つ国が存在します。また、国際条約は最低限の保護を保証するものの、各国の国内法が最終的な保護期間を決定するため、一つの作品であっても国境を越えれば異なる著作権状況となるのです。
著作物を学術研究、教育、あるいは文化的な活動に利用する際には、利用する国の著作権法に加え、作品の著作者の出身国や初版発行国の法制度、さらには国際条約の規定を網羅的に確認することが極めて重要です。これにより、著作権侵害のリスクを回避し、合法かつ適切に文化資源を活用することが可能となります。