この作品は誰のもの?

『第九』を例とする音楽著作物の保護期間:作曲家、演奏家、レコード製作者の権利と国際的動向

Tags: 著作権, パブリックドメイン, 著作隣接権, 音楽著作物, ベートーヴェン, 保護期間, 国際条約

はじめに:古典音楽における著作権の多層性

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した交響曲第9番ニ短調作品125、通称『第九』は、世界中で広く演奏され、愛されている古典音楽作品です。この作品の楽曲そのものは、作曲家ベートーヴェンが1827年に没していることから、現行の著作権保護期間(著作者の死後70年)に照らしても既にパブリックドメイン(公共の財産)に帰しています。しかし、その作品を巡る権利関係は、単純に「パブリックドメインである」と断言できるほど単純ではありません。

本稿では、『第九』を具体例として挙げ、楽曲そのものの著作権保護期間に加え、その演奏、録音、そして編曲といった多岐にわたる側面における著作権および著作隣接権の保護期間について、各国の法制度や国際条約の動向を交えながら詳細に解説いたします。これにより、古典音楽作品の利用に関わる専門家の方々が、より正確な判断を下すための情報提供を目指します。

作曲家の著作権とパブリックドメイン

著作権法における著作権の保護期間は、著作者が生存している間と、その死後一定期間にわたって存続します。ベルヌ条約(文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約)の原則では、著作者の死後50年を最低限の保護期間としています。現在、多くの国では、このベルヌ条約のミニマムスタンダードを上回る「著作者の死後70年」を保護期間の原則として採用しています。これは、日本やEU加盟国、米国など、主要な法域で共通して見られる傾向です。

ベートーヴェンは1827年に逝去しておりますので、その著作権は1827年の翌年である1828年1月1日から起算して、既に保護期間が満了しています。したがって、『第九』の楽曲そのものは、いかなる国の著作権法の下でもパブリックドメインとなっており、誰もが自由に利用することができます。これは、譜面の複製、演奏、または他の作品への引用などが、作曲家に対する許諾なしに行えることを意味します。

著作隣接権の諸相:演奏家とレコード製作者の権利

古典音楽作品がパブリックドメインであっても、その作品を実際に演奏し、録音する行為には、著作権とは別の権利が発生します。これを「著作隣接権(Related Rights)」と称します。著作隣接権は、著作物の創作者ではないものの、その著作物を公衆に伝達する上で重要な役割を果たす実演家、レコード製作者、放送事業者などに与えられる権利です。

実演家の権利

実演家とは、音楽の演奏者、歌手、指揮者、俳優などを指します。日本の著作権法第90条の2以下に規定される実演家の権利は、主に以下の内容を含みます。

実演家の保護期間は、各国の法制によって異なりますが、日本では実演が行われた時から70年間保護されます(著作権法第101条)。

レコード製作者の権利

レコード製作者とは、音を最初に固定した者を指し、多くの場合、レコード会社がこれに該当します。日本の著作権法第96条以下に規定されるレコード製作者の権利は、主に以下の内容を含みます。

レコード製作者の保護期間は、レコードが発行された時から70年間保護されます。ただし、発行されない場合は固定された時から70年間保護されます(著作権法第101条)。

これらの著作隣接権は、実演や録音が行われた時点から起算されるため、たとえ楽曲自体がパブリックドメインであっても、特定の演奏や録音には、まだ保護期間中の著作隣接権が存在する可能性が十分にあります。

各国の著作隣接権保護期間の差異と動向

著作隣接権の保護期間は、国際的に統一されているわけではなく、各国の国内法によって規定されています。しかし、国際条約(例えば、実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関するローマ条約や、WIPO実演・レコード条約など)や地域協定(EU指令など)によって、一定の調和が図られてきました。

日本の状況

日本では、長らく実演家およびレコード製作者の保護期間は、実演またはレコード発行後50年とされていました。しかし、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)や日欧経済連携協定(EPA)の影響を受け、2018年12月30日に施行された著作権法改正により、保護期間が「実演後70年または発行後70年」に延長されました。これにより、日本における著作隣接権の保護は、国際的なトレンドに沿った形となりました。

アメリカ合衆国の状況

米国における録音著作物(Sound Recordings)の保護期間は、その製作時期によって複雑に異なります。特に1972年2月15日以前に固定された録音物は、長らく州法によって保護されていましたが、2018年に成立したMusic Modernization Act(MMA)により、連邦著作権法の下で統一的な保護期間が設けられました。

このように、米国では特に過去の録音物に対して非常に長い保護期間が設定されており、利用には細心の注意が必要です。

欧州連合(EU)の状況

EUでは、長らく実演家およびレコード製作者の保護期間は50年とされていました。しかし、デジタル化の進展や米国の保護期間と比較して、欧州の実演家の権利が不十分であるとの認識から、2011年に「実演及びフォノグラムの保護期間を延長する指令(Directive 2011/77/EU)」が採択されました。この指令により、EU加盟国においては、実演家およびレコード製作者の保護期間が50年から70年に延長されました。この延長は、遡及的に適用される場合もあるため、古い録音物であっても、特定の条件下では保護期間が継続している可能性があります。

編曲、校訂版、二次的著作物の著作権

『第九』の楽曲そのものがパブリックドメインであっても、その原曲を基にして新たな創作性が加えられた場合には、独立した著作権が発生します。これには、以下のようなケースが含まれます。

これらの二次的著作物の利用には、原曲がパブリックドメインであっても、二次的著作物の著作者(編曲者や校訂者など)の許諾が必要となります。

まとめ

ベートーヴェンの交響曲第9番『第九』を例に、音楽著作物に関するパブリックドメインの状況を考察いたしました。楽曲そのものは、作曲家の死後70年という保護期間を満了し、パブリックドメインに帰しています。しかし、その作品の演奏、録音、そして編曲といった様々な側面には、実演家やレコード製作者に与えられる著作隣接権や、編曲者・校訂者に与えられる二次的著作権が存在し、それぞれ異なる保護期間が設定されています。

特に、著作隣接権の保護期間は、日本、米国、EUといった主要な法域でその期間や適用範囲が異なり、近年では保護期間の延長傾向が見られます。これらの複雑な法的状況は、古典音楽作品の利用を検討する際に、個々の実演や録音、楽譜の種類ごとに詳細な法的検討が必要であることを示唆しています。国際的な調和の努力が進む一方で、各国の法制度における差異を正確に理解することは、著作権専門家にとって極めて重要であると言えるでしょう。

音楽作品の利用にあたっては、常に最新の著作権法と関連する国際条約、そして各国の特別な規定を確認し、個別のケースに応じた専門的な判断が求められます。